::脳内出血で倒れた父の介護日記です。::
カテゴリ2008年夏からの介護日記がいわゆる介護日記にです。
その下、2006年に倒れる前から2008年初頭から春の出来事までがこれまでの経緯です。
脳内出血って何だろう?介護ってどんな感じだろう?と気になられる方は
倒れる前からご覧いただくとイメージをつかんでいただけると思います。

2014年10月19日

最近の父 小紋の柄を描くのにはまる。


Robert Frederick Blum
明治や江戸時代の人々の暮らしぶりって。。19世紀のカラーの写実画より

秋になってきましたね。
朝はちょっと肌寒いですが、日中はちょうどいい気温かもしれませんね。

前回の記事が2014年5月なので、またまた間が開いちゃいました。

さて、最近の父はというと、
リハビリは普段通り毎日続けています(量もほぼ同じです)。
ただ、量を増やしたり、階段の上り下りは辞めました。
家の中を歩くだけになっています。


以前は大人の塗り絵を塗っていましたが、
前回書いたように去年の秋ごろから咳がひどくなり、
塗り絵を描いたり、字を書いたりするのをやめていたんですね。
それは、咳ぜんそくということだったんですが、
今年1月ごろからアドエア500で治り始めましたが、
完全に治ることはなく、
今もアドエアを吸ってもらっています。

でも、絵を描いたりしても、咳き込むことが減ったので、
最近は自分で絵を描くようになっていました。


当初は、日本画の本を写したりして、うまく描いてたんですね。
それが最近、なぜか小紋の柄を淡々と描くようになって。。

いわゆる青海波や矢絣(やがすり)とか。
淡々と型紙のように紙に描いていくんですよね。
元は呉服関係の職人でしたが、
型彫りの職人さんではなかったので、ちょっと不思議に思っています。

ほかにもいろんな柄を淡々と描いてるんですが、
よく覚えてるものだというのと、結構難しいんですよね。

去年のあるときには、紗綾形(さやがた)が描きたいといって、
いろいろ描き方を考えて教えてあげたことも。
紗綾形を描いてみる。

今年は麻の葉(あさのは)で悩んでいたので、
ネットで調べて、描き方を教えてあげてたんですが、
型のように淡々と描いています。


和柄商用フリー素材【wargo pattern】より

そういう図案が頭に浮かんでくるのか、
ある程度、きちっと型のように描いているんですね。

昔、元N響指揮者だった故岩城宏之さんの本で、
岩城さんだったか、他の指揮者の方だった忘れましたが、
ある指揮者はオーケストラのスコア(総譜)を
一枚一枚写真機で写したかのような図案の形で頭に入ると書かれていました。

譜面は読むんじゃなくて、絵だったんだーって。
右脳が発達した方はそんなことが出来るんだーって。


私にはできませんが、
父はそんな形で記憶してるのかもしれないと思うと、ちょっとびっくり。

いつまでも、やりたいことをやって、長生きしてほしいなと、
寿命なのでわかりませんが、そう願ってやみません。


クロード・モネ(1840年11月14日〜1926年12月5日)作『ラ・ジャポネーズ』
海外から見た昔々の日本の姿
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2014年05月09日

父が倒れて丸8年。9年目を無事迎えることが出来ました。


写真は2010年5月29日の京都御苑内 自転車のわだちです。一本道になってますね!

最近はめっきりどころか、まったく記事を書いてませんでした。
すみません。。

このブログを作った当初の目的は、
私も父が倒れた時、ネットでいろんな情報を集め、
病室で寝ていた父を安心させられる言葉を掛けてあげたり、
私たち家族は今後、どうしていったらいいかについて
考える情報源として利用させて頂いたことから、
私なりの恩返しとして、私の体験を綴ろうと思ったからでした。

その後は、自宅介護となり、リハビリを中心に書いていました。
何とか、よりよくなってほしいという願いから、
毎日リハビリを続け(今も続けています)、
その成果を記したかったんですね。

でも、倒れた時が72歳。
いつしか、思うようによくなることもなくなり、
現状維持のためのリハビリへと変化していきました。

なので、毎日が同じことの繰り返しで、
ブログを書く内容がなくなってしまったのが原因で、
遠のきつつありました。


2013年秋に咳ぜんそくに
そして、去年2013年秋、父は咳ぜんそくになってしまい、
咳が止まらなくなったんですね。
今度はよくないことが起こり、
本来なら、同じことで悩まれてる方の為にも、
その内容を記したほうがよかったかもしれませんが、
結果がどう進んでいくか(悪くなる場合もあるので)わからないので、
御心配をおかけするのは…と思い、載せませんでした。

咳ぜんそくの経緯は、別に
長引く咳は咳ぜんそくの可能性!放置すると… 本格的な気管支喘息になる場合も - NAVER まとめ
にまとめていますが、
抜粋すると、

10月中旬:ちょっとしたときに咳が出るときがある
11月初旬:咳が治らない様子なので、訪問医療の先生に相談する
始めは80歳手前で要介護な父なので、肺炎を疑っていました。

そのため、11月中旬に提携病院で
胸部レントゲン、胸部CTスキャン、心エコー、
心電図、血液検査をすることに。
11月下旬、咳が発作的に変わってくる。
出だすと止まらない咳に。

12月初旬:訪問医療の先生から原因が見つからず、
肺の状態は問題ないと告げられる。
さらに咳は悪化。
そんなとき、母がぜんそく患者みたいな咳になってるという。
母は子どものころに喘息患者の知り合いの人がいたそう。

12月初旬:インターネットでいろいろ調べる。
すると一般のお医者さんではわからない咳ぜんそくというのを知る(前述)
このころ、父のリハビリで足腰が悪くなり、だんだん立てなくなる。
父の部屋を徹底して掃除する。
マスクをしてもらい、過敏な気道への空気の流れを一定に保つ。
加熱式の加湿器を買う。

12月中旬:訪問医療の先生が来られ、
肺の音は問題ないので問題ないと言われる。
このころ、トイレのために立ち上がることもできなくなる。
このとき、かなり咳が悪化し、痰もでるようになっていた。
咳の度合いは発作的で1時間2時間止まらないことも。
家族も一緒にいると聞いていられないほどのひどい発作的な咳に。

そこで、今日のうちに
先生に呼吸器内科のある病院を調べ連れて行く旨を告げる
その場で病院の予約を入れる。当日いけることになる。
訪問医療の先生が、その病院にファックスでこれまでの経緯を送付してくださった。

呼吸器内科のある病院へ行くと、
あっさりと「咳ぜんそく」と言われる。
処方されたのはアレルギーの薬と吸入ステロイド剤。

…という流れで、そのあとは、治っていく経過を記しています。

前回の記事の日付を見ると2013年11月5日となっているのですが、
このとき、すでに咳が出ていて、
気分転換に京都御苑を散策しに行ったんですね。確か。。
でも、咳が出ていることを伏せて書いていましたね。

さて、実は今でも、吸入ステロイド剤を吸わないと
咳がちょっとずつひどくなる傾向があり、
今も吸ってもらっています。


一時はどうなることかと思いましたが、
今はそのお薬である吸入ステロイド剤を吸うことで
普段通りの生活が出来ているので本当にホッとしています。

もし、咳ぜんそくが気になる方がいらしたら、
長引く咳は咳ぜんそくの可能性!放置すると… 本格的な気管支喘息になる場合も - NAVER まとめ
をお読みください。


2014年5月で丸8年が経過、9年目に
さて、ようやく本題に入ります。
そんなこんなで迎えた2014年でしたが、
先ほど書いたように咳ぜんそくもほぼ薬のおかげで収まり、
咳ぜんそく由来による足腰の立たなくなっていたのも、元通りになり、
今は以前同様、家の中を10往復歩くリハビリができるようになっています。

そして、父も80歳を迎えることが出来ました。
さらに倒れて丸8年が経過し、9年目に突入。

リハビリもほぼ元通りレベルで毎日元気に行い、
食事もしっかりとれていて、新聞を読んだり、字を書いたり、テレビ見たり…
今は平穏無事な生活を送れています。

この先もしっかり長生きして、一緒に暮らしたいというのが家族の願いですが、
去年の咳ぜんそくのように、年齢も年齢なので、
ドキッとする出来事もあるかと思います。

今、倒れたときのことを思えば、とにかく「生きていてほしい」から始まり、
「3年は生きてほしい」と思うようになったりしましたが、
その都度、いろんな倒れられた方のお話をネットで調べて父に言ってました。

こうして、今、倒れて丸8年、年齢も80歳を迎えられたということは、
また、どなた様かに勇気を与えられることになるかもですよね。

なので、このブログ、あまり書かなくなっていますが、
この先も、父が元気に暮らしているという内容は、
節目節目で書いていけたらと思います。

介護日記じゃなくて、介護年記になっちゃうかもですが(笑)。


写真は2010年5月22日の京都御苑内。最近は全然行けてなくて…。
posted by fooca at 07:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 2013年以降の記録