2009年12月26日

年末も近づいて

寒い日も多くなり、家の中でのリハビリばかりになりつつある今日この頃です。

年末の準備やいろんな買い物などで
父を連れて外出することも
多かったんですが、
もっぱら、歩くリハビリは室内、お風呂の入浴は冬仕様にしてます。

回復期の病院を退院して丸三年が経ちました。
去年までは、何事においても回復基調を感じてましたが、
今年は、良くなった部分もあれば、ひやひや!?した部分もあった一年でした。


1.自宅での肋骨骨折
自主性に任せた歩くリハビリと転倒、そして・・・から始まった
病院通い生活。
肋骨の骨折自体は大事に至らず、良かったんですが、
その後、年齢というのもあっていろんな病院へ通うことに。
泌尿器関連で、前立腺がんの生検も行いました。
結果は問題なしで、いろんな病院通いも年末に終了。
一安心です。


2.上記の泌尿器とちょっと関連もあったはずの。。
実は、退院してしばらくしてポータブルトイレでちゃんと出来てたんですが、
最近は時々、パンツの中でやってしまったり、
ポータブルトイレにちゃんと入ってないままおしっこをして
下が水浸しになったり。。

ちょっとわかりにくくなってる部分と、
父らしさといいますか、楽しむということが出来るようになって、
テレビ見ながら笑いながらトイレしたりと、いろいろ。。。

3.父の頭の回転はおそらく良くなったものの。。
病院通いというのもあって、いろんな先生と触れ合っているうちに、
父の受け答えがものすごくはきはきとするようになった点。
でも、自分のことを説明する段になると、しゃべれない。。
表情や機敏な簡単な受け答えを見ていると、
とても年寄りには見えないんですが。。



良くなった点
自発性は間違いなく出てきました。
自分でリハビリをすることもよくあります。
会話の受け答えに覇気がある。
何より、明るくなった。大声でしっかり笑って楽しんでいる。
失語症の回復度合いも一進一退ながら、
オウム返しはかなり出来るように。
街中の看板でカタカナのものはさっと読めるようになった。

変わらない点
骨折前までは去年より歩くリハビリは良くなっていたかも。
でも骨折後、しばらくまとまったリハビリが出来なかったのも影響して、
歩く距離などは去年程度のままです。

悪くなった点
便意がわかりにくいのか、パンツの中でやることが多い点。
以前はおそらく年1回程度だったかも。今は頻繁。。
ちょっと物忘れっぽい雰囲気が漂う?点。


気をつけてる点
骨折以後、必ず歩くリハビリの際は後ろのパンツを持っています。
出来るだけ外出して気分転換になるよう心がけてます。
失語症は一進一退ですが、会話中心にリハビリを強化してます。


年齢を重ねていく分、身体の不調も出てくるでしょうし、
来年もまた、病院通いもありえるかもしれないですが、
いい年であってほしいですね。

皆様も良いお年をお迎えくださいませ。


※ちなみに画像は京都駅ビルから見た京都タワーと比叡山方面。
何年かぶりに地下鉄に乗って京都駅ビルにも行ってきました。
下調べせずに行ったのが失敗で、
車イスで駅ビルの中を右往左往しました(笑)。
結局、屋上には出れず終いでしたが、
駅西側の外にある駐車場用のエレベーターがすいていたので
それで11階まで上がってガラス張り越しに写真を撮りました。
ちなみに、車イスで屋上に出れるかどうか、
私は京都駅ビルのサイトを見てもわかりませんでした。

2009年12月02日

鴨川から見る大文字山も色づいて

最近は介護ブログというよりも、ご近所さんの画像公開ブログ!?
になっちゃってます。。

先の記事から引き続きまして、
御所を出発して、河原町今出川を越え、鴨川へ。
南西の入り口から鴨川の河川敷に降りていきます。



画像は、今出川の橋から見た比叡山です。
前回、鴨川に来たときは、すごく楽しそうにしてた父でしたが、
今日は慣れてしまった!?のか、普通にしてます。。



こちらは大文字山。色づいてますよね。

河川敷をぶらぶら散策です。
泳いでる鳥を見ては、指差す父。ちょっと気分が乗ってきた?

鴨川の河川敷はとても整備されていてきれいだったんですが、
きれいだから、段差に気が付きにくく!!
車イスを押していて、急にがたん!ってくる場所があって、冷や汗かきました。。




さすがに、御所内の砂利道や鴨川の河川敷を通ったので
車イスの足を置くところが段々下がってきてて。。

途中で気が付き、ベンチで休憩しながら、
車イスの後ろのポケットに入っているスパナで直したり。。


そうこうしているうちに、御池まで歩きました。
ここから今日は久々の地下鉄で帰ることに。



これは、木屋町の画像です。

ZEST御池の中もものすごく久々で(笑)。
父も地下街はとても久々だったんで、
どうもいろいろ見たい気持ちもあったようですが、
疲れても来てたらしく、「いろいろもっと見てみる?」と聞くと
悩んでました。。

結局、そそくさと地下鉄に乗って帰路に着きました。

京都御苑から鴨川へ、今出川から御池まで、最後は地下鉄。
失語症のリハビリと気分転換を兼ねて。

退院当初から考えたら、こんな長旅にも耐えられるようになり、
何かと会話をするようになり、
(但し、東山の山並みを「びゅーと、なあ、びゅーっと。」って
ちゃんとした言葉にはなってませんが。。)
ゆっくりでも回復してくれていることに、感謝してます。

紅葉真っ只中の御所へぶらり

今日はとてもいいお天気で、しかも気温も高いので
父の車イスを押して外出することに。

最近は、何かと話せる雰囲気があるので、
いろいろ話しながらのお散歩です。


道の名前などを聞くと、
時折、自信を持って答えてくれるんですが、
残念ながら間違っていて、ちょっと心配にもなったり。。


そうこうしているうちに京都御苑へ。



いろんな方もカメラで写真を撮られてたり、
絵を描かれていました。


ぶらぶら散策しながら、会話のネタを探します(笑)。

父も、「わあー」とか「おーっ」とか
「びゅーっと、なあ、びゅーっと」とか、そんな感嘆詞ばかりですが(笑)
いろいろ話してました。



真っ赤に燃えるような紅葉や
まるで呉服の絵羽のような、まるで黄金のような紅葉など
きれいな紅葉がいっぱいでした。





美しい景色は見てるだけで、
いろいろ話すきっかけになるので、やっぱりいいですね。


お天気もいいので、このまま鴨川へと足を伸ばすことにしました。

2009年11月22日

失語症のリハビリ。オウム返し作戦!?

退院後、初めのころにもやってたんですが、
私「私が言った言葉を繰り返してね。テレビ」 父「・・・」
というオウム返し作戦

一緒に言おうとして、始めのテを言わずに
私:「テ・レ・ビ」
父:「 ・レ・ビ」
同時に言うんですね。
そして、同じ言葉を繰り返すということは出来ません。

私「テレビ、と言ったら私の後にテレビって言って」
父・・・。

やり続けても、テレビから先になかなか進めず、
本人も嫌になり、そのリハビリはやらなくなってました。


最近、言えようが言えまいがやってみようと思って、
やりだすと、やっぱりいえない。
それでも、続けて「テレビ」…「トイレ」…「ベッド」…
部屋の中のものや「あ」から順番に思いつく言葉
「あさ」「あし」「あじさい」…のように
いい続けて、オウム返しを待ちます。

でも、ずっとやっぱりだめで。
しかし、オウム返しのための言葉は
一回のリハビリでおそらく50くらいの単語を言っていると思うんですが、
毎日、しばらく無意味!?なリハビリを続けてました。


本人も嫌になってます。時々、変な歌を歌いだすんです(笑)。



かみ合わないリハビリばかりしていても仕方がないので、
この秋はあちこち休日に車椅子を押して外出し、気分転換を図りました。

そんな外出時も時々、失語症の話すリハビリ。。


そうこうしているうちに、
つい最近、オウム返しが出来ることがあるんです。

私:「はと」 父:「ぱと」 私?
私:「すずめ」 父:「つづめ」 私?
私:「つる」 父:「つる」 言えてる??
私:「にわとり」 父:「ちまもみ」 ???
私:「はげたか」 父:「そらあかん」 ???

言えない言葉のときは、「それあかん」とか言って拒否してます(笑)

そんな感じでオウム返しがなんとなく成立するようになってきたんです。
それと同時に、会話もなんとなく成立するときがあります。
私「この服、どうする?着る?」 父「ここに置いといて」
私「寒ないの?」 父「今はええから置いといて」

また、テレビ見ながら、
私「この人すごいなあ」
父「ほんまやなあ。ワシもそう思う。」
私「っで、この人誰?」 父「知らんのか(笑)」、私「知らんから誰?」
父「・・・。わかってんにゃけど、ここまでわかってんにゃけど。。」
私「人のこと笑っといて。ほんまは知らんのちゃうん?」
父「知ってる(怒)」

もっと普通に話せてるときもあって、みんながキョトンってすることも。

何日かに一回くらいそんな日があったのが、
今は四六時中、なんとなく会話が成立するときがあって、
前回最近の失語症の経過という記事で、
今の失語症の回復度合いを言えば、まだゼロ?って
辛口に書いたんですが、
今は、日常会話の3%くらいは話せるのかも(笑)。



春の桜も良かったかもしれませんが、
秋の紅葉をあちこち見に行ったときに、
いろいろ自発的に話しかけてくれてたので
(たいていは木の種類や枝ぶりについてらしいですが、
実は、ほとんど私は何がいいたいのかわからないままでしたが)
また、感嘆の声を上げることもあったので、
そういうことも良かったのかなって思ったりもします。


退院から約1ヶ月で3年になろうとしてますが、
ようやく、話せるように少しはなったなあって思うに至ってます。

これからさき、だいたい話せますって言えるようになるまで、
どれくらいかかるんでしょう(笑)。

雰囲気では、もしかすると、案外早いかもしれないし、
今の状態でずっと行くかもしれないし、ぜんぜん先はわかりませんが。。

秋の北野天満宮さん

初詣のときもお参りした北野さんですが、
そのときは参拝の方でいっぱいで、
また、車いす用のトイレがどこにあるかわからず、
お参りだけしてさっと帰っていました。

行く前に、北野天満宮さんのサイトで境内の地図を見たのですが、
車いす用のトイレがわからなかったので。

でも、最近、見つけたサイトで
近畿2府4県のバリアフリー情報が記載されています
車いすおでかけネットを見ると、
北野天満宮さんにも車いす用トイレが書いてあるじゃないですか!

これは行って見ないとって思っていたところに、
姉が遊びに来てくれて、一緒にお参りすることにしました。



北野天満宮さん境内地図をご参照いただくと
わかりやすいと思うのですが、
鳥居をくぐりましてまっすぐ行きますと桜門(境内地図13番)に到着します。



横にはスロープがあるので登れます。
桜門を入ると向かって右側(東側)に車いす用のトイレがあります。

桜門を入ってちょっと左にふってからまっすぐ行きますと
今度は三光門(6番)があります。



そして社殿をお参りしてその左横(西側)の門を出ますと
もみじ苑(入場料600円、お茶菓子つき)の入り口に行きます。
京都新聞の京都の紅葉情報では、
もみじは見ごろになっています。



こちらは境内横の画像です。
残念ながらもみじ苑には入らなかったのですが、
その近くにありましたもみじです。



今、境内の絵馬所(10番)で北野の明治時代から現代までの
上七軒の伝統と天神さま今昔写真展(無料)を行われてました。

(参照)京都新聞「ねえさん、かわいい」 北野天満宮 上七軒の今昔写真並ぶ
28日までだそうです。

眺めてみると、昔の記念写真とかもあったのですが、
昭和初期の写真は白黒ですが、
カラーだったらファッションとかもお洒落そうに見えました。

また、チンチン電車の写真もあって、
こんなにかわいいサイズなのかって驚きました。


それにしても寒くなってきましたねぇ。風が冷たいです。
そろそろ、あちこちへの秋のお散歩は終わりかな。

2009年11月15日

とある休日の父(秋の紅葉した京都御苑)その2

とある休日の父(秋の紅葉した京都御苑)その1の続きです。

九条池には厳島神社がありました。ぜんぜん知りませんでしたね。
母も子供のころよく遊びに来たって言ってましたが、
家から程近い場所しか行かないですから。



九条邸跡の九条池では優雅に水鳥が泳いでました。
水面に映った紅葉もきれい。



その後も御苑内の白雲神社をお参りしたりとぶらぶらしながら、
秋の風情を楽しみました。



家に帰って昼食の準備をそそくさと済ませて、
みんなで頂き、母はご近所のスーパーへ。

私は洗い物と父のお風呂の準備。
父は大好きなマラソン中継(横浜国際女子マラソン)を見ています。

中継終了後、父をお風呂に入れてあげて
お風呂から上がると父は大相撲中継に釘付けになってます。

そして夕食。その後、スケートを見て、天地人を見て。。
とても忙しいスケジュールをこなしている父でした(笑)

〜 ◇ 〜〜 ◇◎◇ 〜〜 ◇ 〜

いつもは、午前中に1時間程度、
私の歩くリハビリと話すリハビリや歌うリハビリでくたくたな父も、
今日はすっきりリフレッシュできたかな?

外出すると、話すリハビリをしなくても、
父がいろんなものを見て、自分で何かを言おうとするのでいいかなって。
結局、たいていわからないままですが。


なんとなく、一緒にいる時間が大切な気がするので、
休日は出来るだけ両親と外出して楽しもうって思っています。

とある休日の父(秋の紅葉した京都御苑)その1

って、父に休日も平日もないんですが(笑)。
今日の一日を追ってみました。

朝食前に起床。もぞもぞとジャンパーを自分で着る。
そして朝食。食事前に恒例の名前と住所と家の電話番号を言う。
朝食後、ベッドに戻る。

今日はお天気もいいのと(朝は青空に見えたので)、
京都新聞の京都の紅葉情報 の御所を見ると
一部みごろになっているので
御所でも行かないと誘って、父が喜ぶ。
でも母が調子悪いといって行かないという。

さっさと私が洗い物を済ませて父を着替えさせて外出準備。
すると、母がやっぱり行くという。

しばし、二人で待ってます。。

母の準備完了で、御所へ。と思ったら、曇ってる。。
朝は晴れてたように思ったのに。でも出発!



曇り空だったので残念ですが、確かに一部見ごろでした。
母も私もずっと歩いているので、寒くないのですが、
ずっと車イスに乗っている父は寒いですよね。

父にマフラーをしてあげていたのですが、大正解。
風も冷たかったので。



ぶらぶらしたかったのですが、いきなりトイレ。。
やっぱり寒いし。。
御苑の方に堺町トイレが大きくてきれいって教わりました。
行くと、とても大きくやりやすかったです。



もしよろしければ京都御苑の紅葉マップpdfをご参照ください。
堺町トイレは丸太町から程近い九条池の上あたりです。
(参照)京都御苑紅葉スポットMAP

寒さも手伝って実は三人ともトイレ、トイレっと。

続きはその2へ。

2009年11月10日

秋の府庁前ケヤキ並木

父が脳内出血で倒れて搬送された第二日赤前のケヤキ並木。

あの春の青々としたケヤキ並木は、
毎日通ってるときには、うつむき加減だったので
ちゃんと見れてなかったけど、
その後、リハビリ転院して、家に帰ってきて、
何度も訪れた府庁前。



今年の春も画像を撮って載せたので、秋の姿もって思って撮りました。
(参照)春のケヤキ並木 府庁前のケヤキ並木を眺めながら

こちらが秋のケヤキ並木です。
う〜ん。お天気が悪かったので・・・ですが、
色づいているケヤキ並木も趣あるでしょ?



入院当時、C棟の玄関先まで車イスを押して行って
一緒に眺めたケヤキ並木ですが、あれから何年も経ったんだなあって。
そして季節も何度も移り変わって。

あのときはそうなってほしいなって思っていたな。
いろんな思いのあるケヤキ並木です。



京都新聞サイトの京都の紅葉情報 2009を見ると、
洛中も色づき始めのようです。
この前行った京都御苑も色づき始めになってます。


秋の気配を瞳でも感じられるようになりました。

2009年11月08日

片麻痺の低体温が…

脳卒中になられて片麻痺になられた方は
その麻痺側の体温が低くなるということが多いようです。

父も右半身不随なので、右側がずっと冷たかったんですね。
それが当たり前のように。

父は冷たい右側をさほど苦にはしてなかったので、
私も気にしていませんでした。


今年の夏ごろ位からか、お風呂に入れてあげるとき
右側を触ると、別にあまり冷たくないんです。

まあ、夏だしって思ってました。

でも毎週お風呂に入れてあげてるんですが、
秋になっても右側を触ってもあまり冷たくないんですね。
靴下を脱がしたとき、アキレス腱のあたりとか、
足首とかふくらはぎとか以前はとても冷たかったんですが、
ちょっと冷えてる?くらいの体温。

左足も触って体温差を比べるんですが、さして冷たくない。
上半身や右腕にいたっては全然冷たくない。


確かに違うなって。
(左右でまったく同じわけじゃないですが、以前と比べると違うんです。)



お風呂を入れてあげたあと、
母にそのことを言うと、「そう思う」って。
父はあまりわかってないようで、元々じゃないかという雰囲気でしたが。

以前、退院後、もしかして初めてかも!?声を出して笑った父
脳内出血で倒れて約2年と8ヶ月、声を出して笑った父について
書いたのですが、
あれから喜怒哀楽を徐々に
しっかり出せるようになっていったように思います。


夏場にはもうテレビを見て笑ったり、何かテレビに突っ込んだり!?(笑)
喜怒哀楽が明確になっていました。
その夏場くらいから私もん?って思うのようになったので、
このあたりから麻痺側の低体温も改善し始めたのかな
っていう気がします。



この夏には、骨折もあって、
歩くほうの改善は、正直言って現状を保つので精一杯な感じですが、
そのほかの部分では、目に見えない部分も含め、
いろいろ改善して行っているのかもしれませんね。

前回の記事最近の失語症の経過でも書きましたが、
喜怒哀楽が出せるようになったのが、
いろんな改善のきっかけになるのかもしれません。


その喜怒哀楽が出せるようになるきっかけだったのが、
歌うことでした。
童謡でも昔の歌謡曲でも。


最近の話すリハビリは歩きながらやってるんですが、
もうわからなくなると鼻歌でごまかすんです。



歌うリハビリの経過をちょっとみてみると。。
大きな声で歌うリハビリと失語症のその後の経過
歌うリハビリと記憶するリハビリと細かく交互にすると…
昭和歌謡を聴きながら、しゃべれそうな雰囲気漂う最近の父です
失語症のリハビリのための歌うリハビリ

こうやってみると、私自身忘れてましたね。
今年の1月にようやく歌うということが出来るようになったんですね。。
そういえば、退院当初は歌うことを拒絶された気がします(笑)

今では、ほぼ毎日のリハビリの中で何かしらの歌を歌ってます。

歌うリハビリが片麻痺の低体温を緩和する
直接原因になったかどうかはわかりませんが、
私はなんとなくですが、影響あったかもって思っています。

最近の失語症の経過

一言で言えば、まだぜんぜん話せません。
脳内出血で倒れて約3年半。ずっと思うことが話せないんですねぇ。

父の失語症の経過を見ていると、
父の性格も絡んでるかもしれませんが、
同じ話せない状態でも、以前と今とではぜんぜん違っています。

1.以前は「わかってんにゃけど」と
  言葉がわかってるのに口から出せないジェスチャーが多かったんです。
  今は、「わかってんにゃけど」のときと
  「ん?」とニヤッと笑ってごまかすときとあって
  要するに、言葉自体を忘れてるんですね。
  長らく話してないと、確かに言葉を忘れそうです。

2.以前は喜怒哀楽がそれほど激しくなかった。
  今は、はっきりとわかる点。テレビを見て声を上げて楽しんでます。
  笑うだけじゃなく、母にかまってほしいのか、呼ぶときも。
  また、母と二人で「何言ってんのか、わからへん」って言いつづけると
  まさかのはっきりとした口調で「だから、○○なんやって!」
  って説明できることがあります。


3.以前は自力で努力することがなかったんですが、
  今は、自分でノートを見て練習したりしています。
  ただ、「うし」って書いてあるのに、「つえ」と何度も読んで
  本人的に納得した表情で練習してるときには、焦りました。
  やっぱり、だれかが「間違ってる」って言わないとだめそうです(笑)。


気が付けば、話せない悔しさを時々、思いっきりだしてくるので、
その悔しさを感じるようになって自分で自習する気持ちを奮い立たせてるようです。


おそらく、これまでは、そこまで自分の状況がわかってなかったかもしれないし、
正直に言えば、すべてに「もや」がかかった状態だったのかもしれません。
それが、晴れて自分を見つめ直せるようになったのかも。

また、自力で努力するということも、高次脳機能障害の場合、欠落することもあるそうで。
その部分でも、回復してきているのかもしれません。



今の失語症の回復度合いを言えば、まだゼロ?かもしれませんが、
将来的に話せる可能性はずっと上がってる気がします。

固有名詞は忘れてきてるようです。
特に道路の名前などは、以前のほうがまだ覚えてた気がします。

やたらと代名詞が出て話すようになった。
「あれや、あれ。」「ほら、あれあれ」
そんな感じで、話したり、会話の流れでの相槌や
ちょっとした文章「そやなあ、○○やしなあ」くらいは出るときがあります。

本来の口調と早いスピードでカツゼツのいい言葉が出るときがある。
怒ったときはろれつも回るらしく!?本来の父の口調と話すスピードで
わかりやすく説明するときがあります。一瞬ですが。。


将来的に話せるようになれば、これが途中経過なんでしょうね。

最近の一番ありがたいことは、
やっぱり、自力で話すリハビリをやろうとするようになったことでしょうか。

それが一番いいですから。
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