2012年09月13日

人の命と尊厳死

最近、尊厳死と言う言葉が独り歩きしているような気がします。
つい先日、尊厳死うんぬんを仰られた方がいらっしゃいましたが、
人の命と死というもののとらえ方について、書いてみたいと思います。

その前に、命とは何なのか。
そこが重要ですよね。

私は昔、大阪教育大付属池田小学校事件のときに衝撃を受けました。
その衝撃とはなんなのかずっと考えていました。

尊い小学生の命が奪われた痛ましい事件でした。
失われた命は帰ってこない。
犯罪を犯した人間(すでに死刑)は、死刑になりたくて…
そんな話でした。

尊い小学生の命はどういうものなのでしょう。
それはその小学生だけの命
その小学生のご両親も含めた命?
また、小学校の同級生や近隣の人々の気持ちも含めた命?
さらにはそのニュースを見たすべての人々の気持ちを変えさせる出来事?

小学校という大人になるための勉強や体作りをする
安全なはずの場所で起こった事件。

命の範囲は、小学生の命というだけでなく、
ご両親やご家族、小学校の人々、近隣の人々、ニュースを見た
多くの人々に大きな影響を与えた「命の殺害」だったんです。
…と私は思っています。

つまり、命とは、本人だけのものではなく、
少なくとも家族や関係のある人々も含めた尊いもの。


もちろん、本人の意思が尊重されるべきですが、
一方的に尊重されるべきものではありません。
そこには家族の思いもあれば、親しい人の思いもあるはずです。

尊厳死とは、いったいなんでしょう。

もちろん、もう話をできるような状態に戻れないかもしれない。
しかし、そこには本人とその家族との思いがある。

私の場合を書けば、
このブログでも最初に書いてるように、
父と仲が悪かった。しかし、仲の悪いままで終わりたくなかった。

仲が悪かったから、もういいやって思ったなら、
ぶっちゃけて書けば、もし救急車を呼ぶのを遅らせたら、
もし救急車を呼ぶときに、いろいろ言われたけど、
「魚みたいにぴょんぴょん跳ねてるんです!」と言わず、
「わかりました。明日にします。」と言っていれば…。
ということだってありえたはず。

人の命は人が決めるもんじゃない!!!!!

という気持ちがあったから、よぎった気持ちは瞬間に消え去りました。
そして、仲の悪いままで終わりたくない。に代わって。


尊厳死。もちろん本人の意思が大切です。
でもそれは、ちゃんと話し合いをしてぶっちゃけて話してから。
家族も納得してから。

家族のわがままではなく、
私はやっぱり人の命(寿命)は人(他人)が決めるもんじゃない!
と思っています。

私の場合、その後、父をずっと介護しています。
父はどう思ってるか失語なのではっきりとは聞けませんが。


命は、本人だけじゃなく、周りの人にも影響を与えるもの。
そして、死ねば取り返しがつかないもの。

自分一人の命じゃないということは、大切な考えじゃないでしょうか。

また、自分一人で成功したと思う人がいるなら、
よほど周りが見えてない人かもしれません。

産んでくれた母、育ててくれた家族や知人、
影響を与えてくれた友達、いろいろ教えてくれた先生や人々、
食事を作ってくれた母、食事の材料を売ってくれたお店の人々、
服や生活に必要なものを売ってくれた人々。

そして、それらを購入できるお金を稼いでくれた父。


もっともっといろんな人がいなければ、成り立たない。
だからこそ、人の命は、本人だけのものじゃない。

私は自殺した方の家族を何人も知っています。
(そういう方は今の時代、多いですよね)。

小学校の同級生のお兄さん、中学校の先輩のお姉さん、
近所の方、仕事上での方の妹。知り合いの双子の姉妹の姉。
残された方々がどのようになられたか、書けませんけど、
命はご本人だけのものじゃなく、周りをどん底に…。


もちろん、尊厳死というものを考えるのは自由です。
ただ、それは家族や親せき、知人にも影響を与える
その点だけは念頭に置いておいてほしいと勝手ながら思ってます。
(とことん納得しあってからという意味)
そういった状況は、思っている以上に多岐にわたるでしょう。
判断を結局、残った家族に委ねる。
その状況をしっかりと考えて話し合う必要があると私は思います。
(場合によっては後から考えたら自殺になったり、
他殺という気持ちも起こさせる要因になったりするかもしれません。)

あと残された家族は、他人(親戚を含む)に
「何でそうしたんだ?」などの中傷を受けることもあるという点も。


※なんとなくもやもやしてたので、記事にしました。
posted by fooca at 19:54| Comment(6) | TrackBack(0) | その他
この記事へのコメント
「死」は、誰にでも訪れる事ですからね。
「尊厳死」の話とは少し違いますが、人には「生きざま」があるように、「死にざま」もあると思います。
私は、どちらも、自分で選べるようで、思い通りにならないものだと思っています。
それと、「臓器移植」も、私は問題がたくさん残されていると思います。。。。。
もうひとつのブログもチラリと拝見しましたョ。(@@)
動物は、癒しですね〜ェ。
Posted by スマイル at 2012年09月15日 15:18
こちらもありがとうございます。

こんなことを書きながら、本当は私も尊厳死を思うことがあります。
ただ、やっぱり家族の思いというのもあるし、
人は一人で生きているわけでもないので、ついつい。

私も臓器移植も何とも表現できないんですよね。こちらは、臓器を提供される方もそのご家族も、
受けられる方もそのご家族も、
様々な思いが交錯していると思うので。

もう一つのブログもご拝見いただき、ありがとうございます。
ついついカワイイ動物で締めくくりたくなっちゃうんですよ。
最近のマイブームです(笑)

最後になりましたが、スマイル様もお父様をはじめ、
ご家族の皆様も末永くお幸せが続きますように。
Posted by fooca at 2012年09月15日 15:46
こんばんわ。
昔、劇団四季にて劇をされていたのを放送でみました。重いテーマですね。
 自分らの勤務先も・・多くの方の逝去に立ち会います。一言では言えないです。

 今日は慶祝敬老行事を施設で行いました。なんとなく疲れたので・・・今日の父面会は休みです。明日の午後、元気になりゆっくり面会をしてきます。
Posted by hotaka at 2012年09月18日 19:27
hotaka様
いつもコメントありがとうございます。

社会保障費が増え続ける現状で、いろいろ考えると
ついつい書いてしまったんですが、
どこか、命に対する軽視を感じてしまうんです。

原発ゼロという方針も結局は経済界に批判されて、うやむやに、
もんじゅも廃炉という話がうやむやに、
その財源に復興財源を割り当てたり、
中国で起こったデモに対して中国政府は悪いのは日本なので賠償しないとしたあと、
被害を受けた日本企業の支援を日本政府が最大限行うとしたり、
中国へ日中友好協会が今でも日中友好のために行くと行ったり(日程はずれて)…

結局、そういう出来事に対して必要となった税金は問題にせず、
社会保障費は大々的に問題視し、消費税は増税。

いったい日本政府はどこの国の政府なのか。
そんなことが頭によぎりながらという流れもあったんですね。

ステルスマーケティングのように
徐々にそういう方向に流されていく、
その結果、人の本当の尊厳自身が踏みにじられて、
別方向に「死」というものが語られている、
そんな悲しさみたいなものが。

考えすぎならいいんですけどね。。
Posted by fooca at 2012年09月19日 18:12
こんばんわ。午後一番に面会して夕方も・・
毛布を洗いコインランドリー乾燥して届けました。今、帰宅しました。
 今日は除湿機が全開に稼働させてます。

 勤務先での入居者の認知症多くの方々はは・・「家に帰る」夕方時にいつもの動きです。尊厳死の問題に移ろうと思いましたが・・・頭がショートしました。一期一会にて今を大事に・・良く見て良く聞いて・・・であります。

 話がまとまりませんでした。この蒸し暑いのに「チャーシューメン」を食べてきたhotakaです。汗だくだくにて風呂を沸かし・・洗濯中であります。その後は休憩です。
Posted by hotaka at 2012年09月19日 20:04
hotaka様
いつもコメントありがとうございます。

私もコメント欄に変なことを書いちゃいましたね。
尊厳死の問題とは直接関係ないことを。。
気にしないでくださいね。

暑いときに熱いもの、体には良さそうですよね。
Posted by fooca at 2012年09月20日 08:18
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