2012年09月21日

正直、うれしい欲望が(笑)

ずっと、体力低下ばかりが目立ってた父。
前にも書きましたが、
杖なしでの歩くリハビリのおかげで
徐々に体力がついてきたのか(当初は大変つらそうでしたが…)
前回書いたように杖を突きながら敷居を跨いで歩けるように。

今度は大股で歩く癖がついてきたのか、力強さが。

年齢も年齢だし、介護しだして約6年、
後半3年くらいはずっと体力低下を気にしていた始末。
80歳くらいまで一緒に入れたらなぁっと実はしみじみ思ってました。

が!まさかの力強い歩く姿に、私の気持ちも一変しました!
こうなったら85歳や90歳まで頑張ってもらおうっと!!
なんかそんな欲望が(笑)。


so happy smiling cat / [puamelia]


もちろん、無理をしてけがをすると大変なので
何事も注意が必要ですけど、
正直言えば、諦めの気持ちだったのが、
まだまだ回復できる!と思えるようになったのが一番うれしいです。

ただ、これから秋、そして冬になっていくので
身体もかたくなりがちだし、怪我だけは注意しないとですけど。

上を目指せる!という気持ちが
なんか自分自身の気持ちにも跳ね返ってきてるみたいです(笑)。

うーん!やる気が湧いてきたぞ―――。
(私の仕事のほうも上向いてきてくれたらなー、っとこっちはまだしみじみ。。)


Flowers in his hair / ktylerconk
posted by fooca at 10:06| Comment(11) | TrackBack(0) | 2012年の介護日記

2012年09月13日

人の命と尊厳死

最近、尊厳死と言う言葉が独り歩きしているような気がします。
つい先日、尊厳死うんぬんを仰られた方がいらっしゃいましたが、
人の命と死というもののとらえ方について、書いてみたいと思います。

その前に、命とは何なのか。
そこが重要ですよね。

私は昔、大阪教育大付属池田小学校事件のときに衝撃を受けました。
その衝撃とはなんなのかずっと考えていました。

尊い小学生の命が奪われた痛ましい事件でした。
失われた命は帰ってこない。
犯罪を犯した人間(すでに死刑)は、死刑になりたくて…
そんな話でした。

尊い小学生の命はどういうものなのでしょう。
それはその小学生だけの命
その小学生のご両親も含めた命?
また、小学校の同級生や近隣の人々の気持ちも含めた命?
さらにはそのニュースを見たすべての人々の気持ちを変えさせる出来事?

小学校という大人になるための勉強や体作りをする
安全なはずの場所で起こった事件。

命の範囲は、小学生の命というだけでなく、
ご両親やご家族、小学校の人々、近隣の人々、ニュースを見た
多くの人々に大きな影響を与えた「命の殺害」だったんです。
…と私は思っています。

つまり、命とは、本人だけのものではなく、
少なくとも家族や関係のある人々も含めた尊いもの。


もちろん、本人の意思が尊重されるべきですが、
一方的に尊重されるべきものではありません。
そこには家族の思いもあれば、親しい人の思いもあるはずです。

尊厳死とは、いったいなんでしょう。

もちろん、もう話をできるような状態に戻れないかもしれない。
しかし、そこには本人とその家族との思いがある。

私の場合を書けば、
このブログでも最初に書いてるように、
父と仲が悪かった。しかし、仲の悪いままで終わりたくなかった。

仲が悪かったから、もういいやって思ったなら、
ぶっちゃけて書けば、もし救急車を呼ぶのを遅らせたら、
もし救急車を呼ぶときに、いろいろ言われたけど、
「魚みたいにぴょんぴょん跳ねてるんです!」と言わず、
「わかりました。明日にします。」と言っていれば…。
ということだってありえたはず。

人の命は人が決めるもんじゃない!!!!!

という気持ちがあったから、よぎった気持ちは瞬間に消え去りました。
そして、仲の悪いままで終わりたくない。に代わって。


尊厳死。もちろん本人の意思が大切です。
でもそれは、ちゃんと話し合いをしてぶっちゃけて話してから。
家族も納得してから。

家族のわがままではなく、
私はやっぱり人の命(寿命)は人(他人)が決めるもんじゃない!
と思っています。

私の場合、その後、父をずっと介護しています。
父はどう思ってるか失語なのではっきりとは聞けませんが。


命は、本人だけじゃなく、周りの人にも影響を与えるもの。
そして、死ねば取り返しがつかないもの。

自分一人の命じゃないということは、大切な考えじゃないでしょうか。

また、自分一人で成功したと思う人がいるなら、
よほど周りが見えてない人かもしれません。

産んでくれた母、育ててくれた家族や知人、
影響を与えてくれた友達、いろいろ教えてくれた先生や人々、
食事を作ってくれた母、食事の材料を売ってくれたお店の人々、
服や生活に必要なものを売ってくれた人々。

そして、それらを購入できるお金を稼いでくれた父。


もっともっといろんな人がいなければ、成り立たない。
だからこそ、人の命は、本人だけのものじゃない。

私は自殺した方の家族を何人も知っています。
(そういう方は今の時代、多いですよね)。

小学校の同級生のお兄さん、中学校の先輩のお姉さん、
近所の方、仕事上での方の妹。知り合いの双子の姉妹の姉。
残された方々がどのようになられたか、書けませんけど、
命はご本人だけのものじゃなく、周りをどん底に…。


もちろん、尊厳死というものを考えるのは自由です。
ただ、それは家族や親せき、知人にも影響を与える
その点だけは念頭に置いておいてほしいと勝手ながら思ってます。
(とことん納得しあってからという意味)
そういった状況は、思っている以上に多岐にわたるでしょう。
判断を結局、残った家族に委ねる。
その状況をしっかりと考えて話し合う必要があると私は思います。
(場合によっては後から考えたら自殺になったり、
他殺という気持ちも起こさせる要因になったりするかもしれません。)

あと残された家族は、他人(親戚を含む)に
「何でそうしたんだ?」などの中傷を受けることもあるという点も。


※なんとなくもやもやしてたので、記事にしました。
posted by fooca at 19:54| Comment(6) | TrackBack(0) | その他

2012年09月12日

ぼろぼろになってきた敷居

家での介護をするようになってから、もうすぐ6年。
家中での歩くリハビリや車いすで
だんだん痛んできた敷居。

歩くリハビリの時、
どうしても歩幅が狭くなるので、
敷居を跨ぎきれず、踏んじゃうんですよね。
今までずっとそういう形で歩いてもらっていました。

でも、最近つとにぼろぼろになって、
ささくれがよくできるようになり、
ささくれを取り除いたり、やすりをかけたりしたんですが、
痛み過ぎて、すぐにささくれになっちゃう。

それで、敷居にテープでも貼ろうかと思ったんですが、
じじむさくなるし、テープがはがれるとネチャネチャになるしと
母と相談すると「あんたが、跨いだらええんやん!」と一言。

私が「前にちょっと練習したけど、あかんかってん」っと。

でもちょっと考えてみると、
最近の杖なしでの歩くリハビリのせいか、
杖を突いて歩くとき、父の歩幅が前より広くなってる気が。

それで、試しに父に杖を突きながら敷居を跨げるかやってもらうと…
できました!なんとか跨げました。
何度かやると、半数弱はかかとが少し乗っかることがあるんですが、
それでも、跨げる!

ということで、杖を持って敷居を跨いで歩くリハビリに。

敷居を跨いで歩くようになると、
自然と普段の歩幅がさらに広くなってきたようで、
父も調子良さそう。


Jabba Surprise / pepemczolz


去年くらいには、もう父もだんだん衰えていくのかなぁ…
なんて思ってましたけど、
いえいえ、今年の杖なしでの練習以降、
(杖なしの練習ははじめはかなりきつかったみたいで、
頻繁に筋肉痛になっていたみたいですが)
まだまだ、体力がついていきそうな雰囲気に。

頼もしい雰囲気が戻ってきて、本当に良かったです。

やっぱりできるだけ元気でいてもらいたいですしね。

このまま順調に
敷居を跨ぐ歩くリハビリが続いてくれたらと思っています。


※ちなみに使わせて頂いている画像は
 私の別ブログポジタリアン イエローでもご紹介させて頂いてるのですが、
 商用無料の写真検索さんという
 タグ付きでブログに載せるのに便利なサイトのもの。
 楽しい画像がいっぱいで重宝させて頂いています。


Sleeping puppy / JunCTionS
posted by fooca at 12:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 2012年の介護日記
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