2009年06月21日

父の日ですが。。リハビリ三昧!!

最近の父は、自主性が出てきて。。ということで、
リハビリも主として父任せにしていました。

が!

たまに階段の上り下りしたほうがいいかなって思って、
階段のリハビリを手伝うと、体が重そう。
母も、ちょっとまずいんちゃう?って。
私も、相撲の親方みたいになってきたんちゃう?って。

いつもは太ってきたって言うと、話せないのに
何を言ってるかわからないのですが、反論しまくってた父。

しかし、この日は違いました。どうも本人も自覚しているようで(笑)。


自主性。。最近は、私が洗い物をしてるときやご飯ごしらえしてるとき、
それほどリハビリしてるように見えなかったなあ。
本人も倒れるずっと以前に、
「わしはサボり癖があるからあかん」って言ってたけど本当だなあ(笑)。

しかも、父の日前に、和菓子をいっぱい買いに行って
和菓子三昧にしてしまいました(汗)。



母は食べる量を減らさないとと言うんですが、
食べる量は決して多くしてないつもり。
おかずもちゃんと食べないといけないし。

ということで、父の日ですが、リハビリ三昧開始!!

歩くリハビリ、ベッド上での筋トレ風リハビリ、歌うリハビリ、階段のリハビリ、
ベッド前で出来る足腰のリハビリと、
体を動かしたり、大きな声を出したりするリハビリを徹底的にやりました(笑)。



その後、お風呂へ。
父のお風呂は、訪看(訪問看護)さんが1回と私が1回の週2回なんですが、
お風呂の椅子に腰掛けてる姿は、やっぱり親方!

父の日前の和菓子三昧大失敗でした。
なぜ、和菓子三昧になったかというと、いつもは鶴屋吉信とかで買ってたんですが、
今回は、父の希望で近所の和菓子屋さんで買うことになりました。
父が選んだ和菓子がちょっと安かったんで、払う私が気を使ってしまい、
いつもと同じ値段になるまで、買ってしまったんです。
あれもこれもと。。。
バカでした。。

その和菓子屋さんは私も好きなのですが、ちょっと甘めなんですね。
それでいて、お値段も手ごろ。
父の日という意味がなければ、安く済んでよかったという話なんですが、
私からすれば、という気持ちが働いてしまい。。

そうでなくても太ってきてたのに。。
しばらく、体を動かすリハビリを徹底的にやってもらうことにしようかなって。


話は変わりまして、在宅で介護するとき、
訪問看護さんや訪問医療の先生、リハビリの先生などが
どんどん決まっていったんですが、
実は、最初の頃、訪問医療の先生以外は、
全部、私一人でできるしって思ってました。


回復期の病院でいろいろ教わったりもしたので
ちょっとそんな話をケアマネさんともしたかもしれません。

退院直後はちょっと大変でしたが、
お風呂に入れてあげるのも最近じゃそれほど大変じゃないんですね。
力を入れて支える場面も3ヶ所くらいかも。
お風呂場に入るとき健足から降りてもらうのを注意してみて、
こけないように軽く支えながらイスに腰掛けてもらって、
シャワー渡して自分で体を温めてもらいながら、頭と体を洗って。
イスから湯船に入るときに麻痺足を引き上げて湯船に下ろすのが力入る場面1。
渡してある板を引き抜いて、
湯船に座る父をゆっくりと麻痺足と麻痺腕、
背中に手を回してつけてあげるときが力は入る場面2。
あとは、ごゆっくりって言って、私は外にでちゃうんですが、
戻ってきて湯船からあがるときに、
麻痺足を引き上げてゆっくり風呂場に下ろすのが力は入る場面3。
その後は、自力で湯船から父が出れるので、
体を拭いて、お風呂場からでるときに足元を注意してみてるだけです。



そんな状況ですが、ずっと訪問看護さんやヘルパーさんに来ていただいていて
お風呂に入れてくださってることよりも、
実は違う面ですごく感謝するようになりました。

変な話ですが、やっぱり、もし私の体調が悪くなったときのための安心感
毎週いろんな訪看さん方が来られるという生活のリズム感
人間なので、サボりたくなるときもありますが(笑)、
来られて「最近はどうですか?」って聞かれると思うとサボれない(笑)。

そして、何よりも父の話し相手というよりも介護者の話し相手として
ここ重要!ですね。ずっと見ていただいてるとやっぱり、
その部分での心の支え的な感じがあって、
お風呂に入れていただいてるということよりもそっちのほうがうれしかったり。

訪看さんを始め、ヘルパーさんや訪問医療の先生、リハビリの先生、
ケアマネさん、そして、そして!先生方を乗せて来られる車の運転手の方!
こちらも、電話で話すことがほとんどですが、
ずっと同じ方なので、いざというときに臨機応変に対応してくださったり。
そんないざというときは、
電話での話し方がいつもより気さくな雰囲気になったりすると
ちょっと楽しい気分になったり。

って、いつもは「もう少ししましたら、先生がお越しになられますので・・・」
という決まり文句が
「(笑いながら)わかった。ほんなら2〜3軒、先によそ回るから安心して」
って普通のおっちゃん口調になられるとき。
なんか仲良くなれた気がするんですよね。

同じということの安心感ってありますよね。きっと。


(追記)
最後は父の日の話からいつものように脱線してしまいました(笑)。
ちょっと久々に!
この体験記を書いているので書きたいことを詰め込んじゃいました。
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私のプチ闘病記。続き!?

久々に記事を連発!?若年性肺気腫って。。私のプチ闘病記という記事を書いた後、
なんとなく、母と話していると、いろんな話に。。
忘れてたとはいえ、私ってなんて体が弱い。。

実は、幼稚園のとき、しょう紅熱(猩紅熱)になってるんです。
今では、法定伝染病じゃないですが、
当時はご近所まで!?消毒されたとか。。

行ってた幼稚園で、誰かがしょう紅熱になったんですね。
その後、その幼稚園から2人、しょう紅熱になったんですが、
そのうちの一人が私(笑)。
ほとんど誰もうつらなかったのにとか言われたような。。
病院で1ヶ月ほど入院しました。

それから、言われて思い出したのが、脊柱側彎症(せきついそくわんしょう)
小学生のとき、ほとんど誰もいなかったと思いますが、
体を曲げると背中の一部が出てる?とかいう背骨が曲がった症状。

確か、上半身裸でいっぱい写真を撮られた記憶が。。

そして、小5のとき、お腹がいつも痛くてお医者さんに行くと
ガスが溜まってるだけや!って笑い飛ばされたとき。
それがネックで、医者嫌いになりました(笑)。

体が弱いと父に笑い飛ばされてた私でしたが、
考えてみれば、幼少の頃よりいろいろ問題児でしたねぇ。。。
(参照)父と私



どれもこれも、その後、大きな問題なく生きてきました。とりあえず。。
忘れてたとはいえ、プチ闘病記書いてよかった。

自分のことを再認識できました。。
それにしても、ご両親には、大変ご面倒をおかけする子供でした。。

でも、忘れるって良いことですね(言い訳)。

それにしても、母に言われるまで、きっちり忘れてる私もすごい(笑)。
posted by fooca at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のプチ闘病記!?

若年性肺気腫って。。私のプチ闘病記

父の脳内出血の介護体験記なのですが、ちょっとここで私のプチ闘病記!?も
(私の備忘録として)添えさせてくださーい(笑)
母の入院と私の胸の違和感。あれが始まりでした。
肺気腫って何?まったく知らない世界でした。

一般的には、COPD(シーオーピーディー)とも言われる病気です。
肺胞壁の破壊的変化を伴う病気で、一度壊れた肺胞は元には戻らない。。
そして、多くの原因がタバコと言われてます。

私の場合、銀行の窓口をしてたときに4〜5年間1日10本程度吸ってました。
回りも実は吸ってる人が多かったのもあって。。って言い訳ですね。
五十日(ごとび)とか、連休前とか、
超忙しい日ってやっぱりストレス感じたり、
違算!してないですが、ドキッとするときとかあったり。。
私が弱かっただけですが、ということで吸った時期がありました。

でも、そんな短い期間ではタバコのせいではないとお医者さんもおっしゃって。
おそらく、先天性でしょうということでした。


それから始まった気管支拡張剤との生活
貼るとテンションがおかしくなるんですよね。
気のせいと違ったら便秘気味にもなったり。

密かに、貼ったり貼らなかったりしながら体調をコントロールしてきました。



それから後、時々レントゲンを撮ってもらうんですが、
半年くらい経つと、変わってきてたんですね。
それから具体的な説明に。

去年の7月のレントゲンでは、肺全体が真っ黒に写っていて、
肺の過膨張、横隔膜低位、そして心臓が変形
してたんですが、
半年後では、横隔膜が上がり、心臓は普通の形に、
そして、肺も模様が
出ていました。

空気は真っ黒に写るそうですが、肺が真っ黒に写るのは
過膨張のために、肺胞の中の空気が多すぎて黒く見えるそうです。

その過膨張も減ったんですね。
それで、細かな白い模様が見えるようになってました。

先生も、この調子で行きましょうということでした。

そして、最近のレントゲン結果では、
先生曰く、もう普通の人とほぼ同じ状態だそうです。
でも、先生がおっしゃるには、
もともと肺の弾力性が先天的に弱い体質なので、
一応、ずっと気管支拡張剤は必要とのことでした。。



もともと、体は弱かったし、特に学生の頃、
持久走なんて体育の時間にやったら、その日一日中へたばってました(笑)。
先天性って言われるとそうかも!って。。


今のところ、気管支拡張剤でテンションがおかしくなったり、
肋骨が痛くなったり、変にぜいぜいするときも実はあるんですが、
そんなときは、はがして様子を見てます。
はがすと楽になるときもあるし、返ってしんどくなるときもあります。

気管支拡張剤は連日貼ってるわけじゃなく、貼らない日もあります。
貼らないとすっきりするんです。
でも、何日かするとぜいぜいしてきたりするので、貼ります。
貼ると楽になります。

今後もずっとお付き合いしないといけない気管支拡張剤。
体調に合わせてコントロールって感じになりそうです。



※ちなみにこれは私が勝手にしてるだけで、
真似をされましても一切責任はもてません。ご注意ください。

(雑感メモ)
良くならないと言われてる肺気腫。
私は一体。。もともと先生の誤診という可能性もあるかもしれません。
ただ、肺気腫かどうかは別として、
肺の過膨張と横隔膜低位、心臓の変形、
肺が真っ黒に写っていたというのは間違いない話です。

それと、普段の生活や歩いたり運動したりしてるときに
もともと呼吸困難や息が上がるということはあまりありませんでした。
階段も10往復とかしても息は上がりません。

息苦しさは感じないですが、疲れが溜まってくると
息を吐ききるということがしづらいと思うことが学生時代からありました。
胸がいっぱいになるような感じで。

なので、先生が仰る肺の弾力性が悪いというのは
もともとそうかもって思ってます。

日常において、思ってることはこんな程度なので、
あまり変化はありません。大きな変化があれば、また、書いてみたいと思います。
posted by fooca at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のプチ闘病記!?

2009年06月04日

脳内出血で入院していたときの資料を眺めながら

最近の父は、自発的に!?リハビリをするようになり、
自ら歩くリハビリをしたり、文章を読んだりしています。

文章を読むリハビリをするときは、
集中できるように、テレビを消して静かにしてあげます。

しばらくしてから、「読んでみて」って言うと、
始めは調子よく、読めたりします。
「読めてるねぇ。」って言うと、ニヤッと笑ったり(笑)。

そうすると、意識してしまったのか、
読めなくなって(笑)。


今は、私は他の事をしながら横で様子を見ているだけ
そんな感じになりつつあります。


でも、話せるわけじゃないですよ。まだ。。
お風呂の準備でシャツやパンツや靴下を出しておくと
チェックしているのですが、
「ちーやろ、ちーやろ、ちーやろ…」
「なんでもちーやなあ」って母といっつも笑ってます。
ちゃんと「シャツやろ、パンツやろ、靴下やろ」
って言えないんですよね。

そしたら、「言うた!」って言ったり。

そんな状態ですが、自発性が出てきて、父は楽しそうです。



先月のこのブログの検索ワードを眺めていたら、
脳内出血というキーワードだけで来られる方も多く、
私も脳内出血で調べてみたら検索の1ページ目にありました。

それで、久々に脳内出血について調べてみました。

以下、ウィキペディア抜粋-------------------
死亡率は75%に達するとも言われる。

発症後数日は絶対安静である。
降圧剤で血圧を下げて再出血を予防する。

手術療法は全例に適応ではない。
自然に吸収されない大きさの血腫であれば、
再出血のおそれが無くなり、
脳浮腫が治まった時点で待期的に定位脳手術を行う。

(参照)脳内出血 - Wikipedia---------------

思わず、発症当時を思い出しながら、昔の資料を眺めてしまいました。
父の場合、左被殻出血で中程度ということでした。
先生からすぐに後遺症についての説明を受けます。
(参照)救急車が到着して

その翌々日、容体も安定していて血腫は3ヶ月ほどで吸収されますが
後遺症を出来るだけ残さず、早くリハビリをするために
血を抜き取ったほうがいいということで
定位血腫ドレナージ術をしていただくことになりました。
(参照)頭に穴を開けて血を抜き取る手術

なので、書かれている内容そのままですね。
あれから3年、ようやく自発的に自らリハビリをするようになりました(笑)。

私が見ている間は、
家の中をうろうろして歩くリハビリを勝手にしています。
気が向いたら字を眺めて字を読む練習。
さらに気が向いたら百マス計算。


退院後、ずっとリハビリを手伝ってきた私もちょっと解放された気分。



後遺症や失語症という言葉も、上位の検索ワードでしたが、
父の場合、失語症も右半身不随も失行もありますが、
なんとなくですが、最近、父も母も私もそれぞれの自由度があがってきたような。

そう思えるようになるのに3年かかっちゃいましたが。。

これまであまり書いてなかったような気がしますが、
やっぱり、ケアマネージャーさんを始め、
訪問医療の先生方、訪問看護やヘルパーの方々、
リハビリの先生、業者さんなどなど
たくさんの方々の支えのおかげですね。
なんとかなっていることに本当に感謝しています。


入院中は、回りの患者さんよりもちょっと容体が重かったように思います。
急性期の病院でリハビリするときはすぐに熱を出したり。。

回りの方々はどんどんリハビリをされたりして、
当時は今後がかなり心配だったんですけどね。


先月、良くお読みいただいたページは
1.左脳の脳内出血の後遺症と付き合う日々
2.脳内出血に伴う費用(入院時から退院後、自宅での生活まで)
3.倒れて3年という月日
でした。

今の父を見ていると、後遺症よりも、
その状況でいかに楽しく生きるかって感じがします。頼もしい限りです。
posted by fooca at 15:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脳内出血の介護資料

2009年06月02日

最近は膝痛を言わなくなった父

最近、足腰弱ってきているように思う?「うん。」。で書きました
内容の続編なのですが、
最近は、左足の膝が痛いと言わなくなり、
ほっとしています。


あの記事で書いた内容は、
気のせいと違ったら、以前よりも健足の左足ばかり使ってるような。。
ずっと見ていると、麻痺足の右足に体重があまり乗ってない?
右足を前に出してすぐに左足を横に持っていって?
ちょっとつんのめるような感じ??


ということでした。

それから、歩くリハビリのときは、
できるだけ、右足に重心を置いてもらって
左足はそっと置くように、練習中に注意しながらやっています。


あれから約1ヶ月。
どうやら、功を奏しているようです。



退院後、時々、健足の左ひざが痛いって言ってました。
リハビリで歩けば歩くほど、痛がってました。


これまでは、無理は禁物なのでそんなときは、
字を書くリハビリや声を出すリハビリ中心に変えて
左足に休んでもらってたんですが、

結局、ほんのちょっとの気遣いだったのかもしれません。

実際に足が弱ってきたら、本当に装具が必要になるかもしれませんが、
今のところ、膝痛の原因は歩き方だったように思います。


失語症の父なので、どう痛いのか、どういうときに痛いのか
ちょっとわかりにくかったのですが、
歩く姿を注意深く見るということが大切だったんですね。

毎日やっているリハビリも、気が付かないうちに、
何か変なクセが付いてしまってくるかもしれません。

何事も注意深くみないと行けないとしみじみ感じています。
posted by fooca at 16:22| Comment(4) | TrackBack(0) | 2009年春の介護日記