2009年05月15日

府庁前のケヤキ並木を眺めながら

倒れて3年という月日という記事の続編ですが、
父が始めに入院していた京都第二赤十字病院がある府庁前のケヤキ並木を眺めながら
しみじみ、あれから3年が経ったんだって思いました。

重苦しい思いを抱きながら行った日々
救急救命病棟から専門病棟(C棟)に移って行った過程、
それから、車イスに乗ってもらって移動できるようになり、
C棟の屋上から眺めた京都御所に
C棟玄関から眺めた府庁前のケヤキ並木。

そのとき、このシーンを覚えておいてね。って言ったんですが、
その玄関先に行ったとき、覚えてるって聞いたら
覚えてるってジェスチャー。ホッ。


府庁前にはいろいろと用事もあったりするので、
いつも父の車イスを押しながら、倒れたときのことや
その後の出来事なんか、話したりしてるんですが、
この季節はやっぱり特別な気持ちがあります。

木々の匂いやちょっとした風の匂いとともに(笑)。



府庁前のケヤキ並木は重苦しい気持ちも
一緒に生活できている今も心を落ち着けてくれる気がします。
大きな木の温もり感ってやっぱりいいですよね。



去年は母も入院した第二日赤。
(参照)母の入院と私の胸の違和感
私の状態はって言うと、それなりに悪かったりもしますが、
何とかやってます。。

何かとお世話になる第二日赤なので(私も将来、お世話になるかも。。)
いろいろと感慨深い気持ちでケヤキ並木を見つめてました。


木々を眺めていると、自然と落ち着きますよね。
特に大木を見てるとなんとなく気持ちよかったりします。

疲れが溜まったり、何か嫌なことがあったりしますが、
そんなときは木々でも眺めながら、ゆったりとしたいですね。


心落ち着けて、まだまだ先は長いですから。
長くあってほしいですから。
posted by fooca at 18:36| Comment(4) | TrackBack(0) | 2009年春の介護日記

2009年05月04日

倒れて3年という月日

父が倒れたこの時期今年も寒暖の差が激しくて
よく似てるなって思う今日この頃。
今でも深夜に救急車のサイレンを聞くと寝れなくなります。

父が倒れたとき、けんかばかりで親孝行してなかったから、
とにかく助かって欲しいということばかり考えてました。

そして、せめて3年は。。って。


母にも父にも言ってませんが、3年はというのが
当時の私の目標でした。


今、そのときを迎えようとしています。


父が倒れたとき、必死に生存率とかもネットで調べたような気がします。
判然としなかったのですが、
今、私の父は、後期高齢者ですが、
脳内出血で倒れて3年、元気に生きています!


私が調べたのは、もちろん、怖かったから。
何か、心の支えが欲しかったからでした。

いろんな方が、そして、いろんな場合があると思いますが、
もう一度書きます。

父は後期高齢者ですが、脳内出血で倒れて3年、元気に生きています!



生きていてくれることで十分幸せって思ってました。
退院したときは、ベッドから体さえ起こすことが出来なかったので
トイレのたびに体を起こさなければいけませんでした。


それが、今では、一人でポータブルトイレにやります。
250mですが、30分かけて歩きます。
そして、童謡で1番だけですが、ほとんど一人で歌えます。

(参照)最近、足腰弱ってきているように思う?「うん。」。
失語症のリハビリのための歌うリハビリ

今もいいたいことは言えません。失語症のままです。
でも、歌は音程だって取れる。ろれつはちょっと回ってませんが、
とにかくなんとか1番だけでも一人で歌える。


私にとって3年というのは、心に誓った年数だったんですが、
それを元気に迎えられるということに本当に感謝とともに、
今、直面されて心配されてる方に、
こんな例がありますよ
って言いたかったから。


この先、どうなるか、私もわかりません。
可能性として、
私は父がある程度、話せるようになるんじゃないかと思っています。
(参照)失語症のリハビリのための歌うリハビリ



母のたっての願いは一緒に話し合えるようになることでした。
それは、まだ出来てません。
でも、遠くないかなって思っています。
そう思えるだけ、雰囲気が整ってきている気がするんです。

振り返って、失語症のリハビリでやっぱり一番いいのが、
一緒に歌ってあげること、
なのかもしれません。


父はもともと歌が大好きだったので、そうなのかもしれませんが、
昭和歌謡を一緒にしっかり歌ってから童謡もしっかり歌うようになりました。

童謡をちょっと馬鹿にしてたんですね。最初、父は。
そんなもん、歌えるかって。
だから、ずっと嚥下機能の強化のためって言ってました。
(もちろん、その効果も大切ですよね。)

でも、何か気が付いたみたいです。
そのきっかけは、
昭和歌謡をしっかり一緒に歌いこんだことだったかもしれません。
曲は。。。。憧れのハワイ航路(笑)
そして、上を向いて歩こう、に、見上げてごらん夜の星を。


とにかく3年は、という気持ちがあったあの頃、
今、元気な父を見て、正直、想像できなかった状態です。

毎日、リハビリに食らいついて来てくれて、お父さん、ありがとう。
私的に、心情をここにだけ吐露すれば、肩の荷が下りました。



この先、私は父について男性の平均寿命を目指して頑張るつもりです。
そして、同い年の母をこれまで以上に手伝っていこうって思っています。


(補)
昭和歌謡は、私が知らない曲や、歌詞からいろんな昔を知ることが出来ました。
ある意味、今までだったらなかったコミュニケーションが取れたんです。
そういう点でもありがたい存在でした。
蘇州夜曲って聴いたことあったんですが、
父の好きな曲というのは知りませんでしたし。
(参照)昭和歌謡を聴きながら、しゃべれそうな雰囲気漂う最近の父です

もし、お時間がない方でも、昭和歌謡でコミュニケーションをとられたら
何かのいいきっかけが生まれるかもしれませんね。


もうひとつ、このブログを始めて、
いわゆる介護日記という形で書くようになってから約10ヶ月。
この間でも紆余曲折をうだうだと!?書いてきました。
どうしても、いいときもあれば悪いときもありますよね。

そんなうだうだも何かの参考にしていただければ、幸いです。
posted by fooca at 07:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 脳内出血の介護資料

2009年05月03日

失語症のリハビリのための歌うリハビリ

ずっと歌うリハビリをやっているんですが、
最近は積極性が出てきて、とある童謡の1番だけ
何とか一人で歌えるように練習しています。


それが、ほとんど歌えるようになってきてるんですが、
どこか一部で歌詞を間違うんですね。

ちゃんと文字を読めている?かといえば、読めていない。
じゃあ、まったく読めないのかといえば、実は読めていたり。

特に最近は、頭の状況がいいのか、すらすら読めるときもあったり。
そして、「おまえバカにしてんのか?」みたいな表情を。。

でも、次の瞬間、同じところを詰まってしまって、
今度は意気消沈。。笑ってごまかしてます(笑)


とにかく、何とか1番だけでも歌えるようになりたいらしく、
必死に練習中。


以前から比べれば、一人でほとんど歌えているので
大きな進歩なんですが、父の頭がクリアになればなるほど、
間違えるごとに「あ〜あ、なんでやねん。。」ってぼやいてます。
「そう思えるようになったことがすごく進歩したと思うけど」
って言っても、そうとはわかってるようですが、
何かがつながったのか、話せないということにいらだっています。

今まで、あんまり気にしてなかったのですがね。
だから進歩!なんですが、その一言が父にとっては気に入らない。

この年初くらいからか、失語症を気にするようになってますが、
何か、特に最近、急に変わった気がします。


さらに、どこか頭の中がつながったのかな?



歌うリハビリもいろんなやり方で楽しんでます。
倍テンポで歌ったり!?スローペースでゆっくり歌ったり、
はたまた、私だけが歌って、途中で歌詞を止めて、
どの文字で止まったかを指差してもらったり。


これが、よく間違えて、母に失笑され、
そのたびにぶつぶつ声にならない文句を言ってます。。

うまく行っている時は、母を見ながらニヤリ。
でも、母はさらっとかわして、聞いてなかったって(笑)。
じゃあもう一度やってみてよ。ってやってみると出来ない。。。
父、さらにぶつぶつ。。


このやりとりや、一人で歌ったりすることが、
何か父の心境に変化を与えた?のかもしれません。
やる気というか、感情的に。

うまくいけば心からしたり顔に(笑)。
そして、母に「お前わかるんか?」みたいなジェスチャー。
それに母がさらっとわかるに決まってるやん。みたいに去っていく。。

父のなんというかポジティブさに母といつも笑ってます。

また、うまくいかなければ、とめどなく悲しそうな表情に。
「あ〜あ、なんでやねん。。」「あ〜あ、あかんなあ。」って。


話せるようになる日が来るとすれば、
この過程は必要なんでしょうね。きっと。

悩み多き父になってます。



私は、気が付いたら、話せるようになりそうな予感がしてます(笑)。


外出を私が母に打診してるときなんて、
父がさらっと「行ったらええって」って母に代わって私に告げるんです。
母が「私、そんなこと言ってない」って。
その横で父が笑ってました。母も「あんた、しゃべれるやん」って。

もう、何かの拍子にはしゃべってますね。
毎日、何か新しいことを普通にしゃべってます。



その日が急に来るのか、やっぱり徐々になのかわかりませんが、
ちょっと楽しみな気がしてます。

何せ、童謡なら1曲で間違える場所は4〜5ヶ所ですから。
歌に関しては、私はもう失語症って思ってません。
若干、ろれつは回ってないかもしれませんが、ちゃんと聞き取れますから。
posted by fooca at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 2009年春の介護日記

2009年05月02日

最近、足腰弱ってきているように思う?「うん。」。

去年の秋は、外での歩く練習をかなりやったので、
歩く距離が伸びて、足腰も以前よりしっかりして良かったのですが、
この春も、お花見途中で歩くリハビリをやってたんです。

でも、ん?何か思うように歩けてないなあ。
って感じるようになってました。


そして、よく健足の左ひざを痛いというようになります。
膝が痛いので無理は禁物。
ちょっとずつ、外での歩く機会が減っていきました。
(参照)春爛漫♪桜もいい感じ!堀川と二条城をゆっくりお散歩

家では、毎日、歩くリハビリをやっています。
ただ最近は、父はしっかり歩けているので、
その間に家事をやりながら、時々、父を見ていたりするだけだったので、
歩き方にちょっとした変化が生じているのに気がつきませんでした。


ある日、いつものように外で歩いていても、
もう歩くのを辞めたいというジェスチャー。
年齢も年齢だし、そろそろ歩くのが辛くなってきたのかなあ。

父に「最近、足腰弱ってきたように思う?」って聞くと
強気の父が「うん。」


お医者様やリハビリの先生はシップとか装具を付けてと仰るのですが、
父はそれも嫌いで。。




でも、歩かないと体力落ちるし。。
そう思いながら、階段を上る練習をしていると、
決して脚力が落ちたように思えないんですね。

それで、しっかりと歩く様子を見てみました。
気のせいと違ったら、以前よりも健足の左足ばかり使ってるような。。
ずっと見ていると、麻痺足の右足に体重があまり乗ってない?
右足を前に出してすぐに左足を横に持っていって?
ちょっとつんのめるような感じ??

もともとそのような歩き方になってたんですが、
気のせいと違ったら、ひどくなったような。
健常者から見れば、左足一本でケンケンしている状態に近い?雰囲気??

それで、その状態で、いっぱいの距離を歩いてる。。


それじゃ、左ひざはかなり痛みますよね。


父にそのことを説明して、一度、私が父の腰あたりのズボンを持ちながら
四点杖なしで歩く練習をしてみました。
もちろん、かなり怖がってましたが、すべて左足に頼っています。

もっと右足に重心をかけられない?っていいながら練習。

今度は杖を持って練習。右に重心を置いて!って言いながら、
そして、左足はそっと置くような感じで労わってあげてって言いながら。


しばらくその歩く練習を続けると父は理解できたようで
徐々に右に重心をかけられるようになってきました。
そして、左足をそっと置くような歩き方に。



その練習をしばらくやった後の日、
去年の秋にずっと歩く練習をしていた道を歩いてもらいました。
父は弱ってきたと思っていたみたいですが、
250mを30分で歩きました(1回車イスにて休憩)。
実は去年よりタイムが3分ほどいいんです。

父自身も自信が戻ったのか、もう少し歩いてもというふうに。
でも、3点歩行では、時間がかかりすぎるので
これ以上の距離を歩くには、2点歩行になったらと言ってます。
(参照)3点歩行と2点歩行



家でも二点歩行の練習をちょっとやってみたのですが、
以前、まったく出来なかったのが2歩出来ました。でも、2歩。。

3点歩行では、杖・右足・左足の順番で歩きます。
体の重心が左前?・ちょっと右?・左というふうに変化する?
感じですが、
右に重心をかけにくい父は、左に重心が傾いているせいか、
2点歩行の杖と右足同時・左足という順番のとき、
頭で理解できていても、体が上手く反応しないみたいです。
憶測ですが、2点歩行のときは、
おそらく重心は真ん中でないと無理かなって。


右に出来るだけ意識を持っていってもらって、
左足をそっと置く歩き方にしてもらってからは、
今のところ、左ひざが痛いということを言ってません。

しばらくは、この歩き方で様子を見ながら、
右足をちょっとずつでも強化できたらって思っています。

ずっと黙々と父が歩く練習をしているので、
歩くときは安心感がありましたが、
徐々に歩き方が変化して健足に頼り切ってしまってたんですね。



微妙な変化はなかなか気が付きにくいですね。反省。。
posted by fooca at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 2009年春の介護日記