::脳内出血で倒れた父の介護日記です。::
カテゴリ2008年夏からの介護日記がいわゆる介護日記にです。
その下、2006年に倒れる前から2008年初頭から春の出来事までがこれまでの経緯です。
脳内出血って何だろう?介護ってどんな感じだろう?と気になられる方は
倒れる前からご覧いただくとイメージをつかんでいただけると思います。

2020年11月27日

お父さん、ありがとう。

最後に、私の父の自慢をさせてください。

2013年までは、比較的順調で、
しっかり食べて、しっかり運動して、しっかり寝るという形で
脳内出血の後遺症はあっても、健康だったのですが、
咳ぜんそくがひどくなり、そこからいろいろと変わっていきました。

このブログも、それまでは、あちこち車いすを押して
お散歩していることを書いていました。
その後、あまり更新できなくなったのは、介護自体が大変になっていったためです。



父の咳がひどくなりだしたのは、2012年あたりから。
それまで、訪問医療の先生にずっと相談していたのですが、
悪いところはないということで、治療薬はなかったんですね。

父の咳ぜんそくは、夜間もずっと咳が続き、
父がしんどいのはもちろんですが、
聞こえている私たちも精神的に参りました。
2013年末から、もう何とかしないといけないと思って病院を探し、
アドエアのおかげで、徐々にまっしになって助かりましたが、
翌年2014年末、類天疱瘡になり、ステロイドでの治療が始まりました。

易感染症に両腕の皮膚剥離、白内障、糖尿病、中心性肥満…。
ステロイドの副作用で、数々の病気をしました。


腎盂炎が2回以上、急性前立腺炎が1回、普通の肺炎が1回以上、
間質性肺炎が1回、気胸が1回…。そして今回の誤嚥性肺炎が1回。。
在宅酸素療法も2018年10月からで2年が経過していました。
〇〇以上となっているのは、入院だけでなく、
家での点滴で治ったものを含んでいるからですが、
こんなにも、何度も入院し、病気になり、
苦しい思いをし、半身不随の痛みや苦痛に耐えて生きてくれました。

類天疱瘡になるまでは、
車いすに乗って、御所や二条城、鴨川、北野天満宮、平野神社…
あちこちに行きました。
また、大人の塗り絵をいっぱい描きました。

でも、類天疱瘡なってステロイドの副作用が出てからは、
易感染症で外出での感染を避け(主に車いす用のトイレ)、
白内障で大人の塗り絵を描けないだけでなく、
テレビも見えなくなり、好きだった大相撲観戦も見なくなり、
テレビが付いているだけで目を隠すしぐさをしたり。。
家族もテレビを見れなくなった時期がありました。

そこで、昭和歌謡や落語をよく聞いたりするようになりましたが、
ネタも尽きて飽きてしまいました。。
阿波踊りや三味線や都おどりなども一時期、気に入ってくれましたが、
ずっと同じものを見るわけにもいかず。。

また、ステロイドの副作用で、腕の皮膚が弱くなり、
入院のたびに皮膚剥離で痛い目に合っています。
今回は両腕の肘から手首までずる向けましたと主治医の先生から言われました。

2018年以降、二度と入院したくない。家で看取ってほしい
父が言っていましたが、
39.9度の熱で、まだまだ体力があり、帰って来れると思って救急車を呼びました。
残念ながら、
カエルさんは、お家に帰るじゃなく、天国に帰る形に働いてくれたようですが。。



私にとって14年の介護生活でしたが、
父にとってそれは、大変な痛みと苦しみとの戦いだったと思います。

家族のために、一生懸命、生きてくれたんだなっと。
一生懸命、ご飯を食べ、一生懸命、リハビリをしてくれたんだなと。


ずっと、14年間、毎朝ほぼ欠かさずリハビリを手伝いました。
その時々の状況に応じてリハビリのメニューを考え、
体力が徐々に落ちてきているのも、酸素の数値が徐々に落ちてきているのも、
勘案しながら、できる限り最大限の力を発揮して
現状維持できるようにお互い頑張りました。

少し頑張りすぎたかな…、もし熱が37度台後半だったら、
家で看取ってあげられたのに…
そんなふうにも思ったりしますが、
家族には、手を抜くということはできなかったのです。

そんな家族のために、最大限、頑張ってくれた父。
家族のために生きてくれた父は、私にとって自慢の父です。

そして、ただただ、ありがとう。


本当は、お葬式のときに、そういう話をしたかったのですが、
残念ながら親戚は、父がいいときの話しかせず、聞いてくれそうになかったので、
思わず書いてしましました。

それもひっくるめて、
父の誠実さを感じ、家族に寄り添ってくれたことを感謝しています。



このブログはここで終わりますが、当面はこのまま残す予定です。

これまで読んでくださった方、ありがとうございました。
最後で恐縮ですが、
読んでくださった方々に幸が訪れますことをお祈り申し上げます。
posted by fooca at 19:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2013年以降の記録

今月6日、父が亡くなりました。

このブログも近年は2年に1回程度の更新ぐらいになっていましたが、
ふと、横の新着記事に目をやると
(11/05)久々に京都御苑の中を散策してきました
なんて出てきますね。
見れば2013年11月05日なんですよね。

どれだけ、あんまり更新していなかったかがよくわかります。
それまでにずっと読んでくださっていた方々、すみません。


さて、前回に書いたのは2020年06月14日の
父が脳内出血で倒れて14年以上が経ちました。
なのですが、その後も9月下旬までは変わらずにいました。

2018年09月の気胸で入院して以来、2年も入院がなかったのですが。。

ある日の昼食時、
いつものように父が、口の中いっぱいにご飯を食べてたんですね。
(本当は少しずつ食べないとダメなんですが…)
ずっとがつがつ食べる人だったので、注意もそこそこしかしてませんでした。

食事も終わりころに、くしゃみをするんです。
口の中いっぱいの食べ物は、テーブルの上にばらまかれました。
私はその掃除に気を取られてたのですが、
くしゃみは、立て続けに3回します。
それも、「すぅー」っと思いっきり吸い込んでは…。


「アドエアよりも吸えたんじゃない?」と思うほどでした。

そう、それが原因で誤嚥性肺炎になり、熱が39.9度も出てしまったのです。
訪問医療の先生に点滴して頂きましたが、
熱でしんどそうな父、
しかも、口を開けることもできず(開けることがわからなくなってる?)、
水分を取ることもできず。。



●入院 そして…。
それで救急車を呼んで、入院となりました。

ここで問題が。
新型コロナウイルスの関係で、
入院直後から、もう二度と父に会うことができなくなってしまいました。
今はコロナの人じゃなくても、すべての人が面会禁止なんですね。

忘れてました。。。

しかも、誤嚥性肺炎の入院って絶飲食らしいですね。
主治医の先生のお話では誤嚥性肺炎自体は1週間ほどで治ったそうですが、
食べる行為を忘れてしまい、
食べるリハビリをすると、口から出してしまうところから始まったそうです。
舌でつぶせる程度の食べ物までなんとかたどり着いた(入院から1か月)ところで、
リハビリ転院となりました。

その転院当日、もう一度、高熱が出たと言われたのですが、そのまま転院。
リハビリ病院で調べて頂くと「細菌性肺炎」とのことだったのですが、
それが原因となり、これまでの間質性肺炎の急性増悪が起こってしまったようです。
ただ、それも特に重篤ではなかったようで、
亡くなる日(11月6日金曜日)の午前中までリハビリをしていたそうです。
昼からほんの少し(30分程度)の間に急変し、息を引き取っていたようです。

死因は間質性肺炎の急性増悪ということになりました。
ただ、看護婦さんも主治医さんも、急変は30分以内だと思うので、
苦しい時間も短かったと思います、とのことでした。




●きずな
先にも書きましたが、新型コロナの影響で面会禁止で。
ずっと会えない状態でした。
これまで、入院の時は、ほぼ毎日通って励ましていたのですが、それもできず。

失語症で失行で、携帯電話という手も全く不可能な父なので、
どうしたらいいか途方にくれました。

そこで、14年前から入院時に出動してもらっていた「カエルさんのぬいぐるみ」
今回は救急で入院したときに持って行ってなかったので、
14年前の脳内出血のときから「お家に帰れるようにという願いを込めたカエル」
ということで看護婦さんにお手紙と共に手渡すと、
ずっと父の腕に巻いていてくれてたそうです。

(両手両足が長いカエルさんのぬいぐるみなので、腕に巻けます)

転院時、寝台車のタクシーだったので、
タクシーの運転手の方がタクシーの準備をしている僅か1分だけ、話ができました。
それが私にとって最後の父になるのですが、話せて助かりました。
くしゃみによる誤嚥性肺炎だったことを説明したうえで、
「食べる行為ができにくくなってるということらしいけど、
もう食べるの嫌になってる?」 父:首を横に振る。
「しっかり、リハビリして食べられるようになって帰ってこれる?」
 父:首を縦に振る。
「じゃあ、頑張ってきてね」

これだけでした。

リハビリ転院後もカエルのエピソードを転院先の看護婦さんにお手紙でお話しし、
同じようにしてくださっていました。

さらに亡くなる前日、父へのメッセージカードを書いたので、
と言って看護婦さんに渡すと、ベッドサイドに貼ってくださっていました。
「お父さん、頑張って (カエルの絵)」


電話がかかってきて、母と急いで行ったのですが、
やっと会えたのですが、冷たくなったお父さんがいました。
腕にはカエルさん。顔の横には私のメッセージカードが。


ずっと会えなかったけど、たぶん、気持ちは一緒だったと思います。
posted by fooca at 19:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2013年以降の記録